ボウリングは今から七千年も前にエジプトに生まれ、五百年前にヨーロッパで大流行し、アメリカに渡ったのは四百年前といわれますから、その歴史の大変な古さにも驚きますが、それと同時に多くの人達がその楽しさを味わい、ボウリングのもつ魅力を後世に伝えるために努力したかを、今更のように考えます。

我が国では、長崎出島の『唐人屋敷波止場』に近い広馬場というところに、始めてボウリング・サロンが出来ました。
1861年(文久元年)6月22日のことです。ヘンリー・ギブソン氏が“ナガサキ・シッピングリスト・アンド・アドバイザー”という日本最初の英字新聞に本日開業の案内広告【ボウリング資料館に掲示】を載せたのがこの日です。
6月22日を『ボウリングの日』と定めたのは、我が国でその日、記念すべき第一投が投じられたことを偲び、昔の人達がそうであったように、我々もボウリングの大きな魅力を、出来るだけ多くの人々に残したいと願うからです。



長崎のボウリングサロンで日本最初のボウリングボール、平成14年日本テレビ放映「ゴールデンボウル」の《金城武・使用ボール》、中山律子プロ「パーフェクト第1号ビデオ」その他、故 須田開代子プロ・故 粕谷三郎プロの秘蔵品、ボウリング雑誌、テレビビデオ等数々展示しております。

場 所 ; 東京都港区芝浦2−12−13田町ハイレーンビル 6階、7階
       TEL 03−5419−6422
開 館 ; 月曜日〜金曜日 13:00〜17:00《但し、祭日は休み》




BC5200年ごろ 
エジプト豪族、子供の墳墓よりボウリングの原型とされる石製のボールとピンが発見された。
(BC3000年という説もある)これがボウリングのルーツ?
BC2000年ごろ
イタリアのアルプス地方で、ボウリングの原型とされる、目標に向かって石を下手投げで投げる「パッチ」というゲームが行われていた。(現在も行われている)
紀元3世紀〜4世紀
北イタリアで楽しまれたボウリングは、やがてヨーロッパ各地の貴族階級へと普及発展していった。
ボウリングはこの時、スポーツではなく、寺院内で信者の信仰心を試す宗教的な儀式の一つとして行われていた。
10世紀〜17世紀
ヨーロッパにドイツのケーゲル。イギリスのスキトルス。フランスのブールが流行。(いずれも各国のボウリングスタイルの名称)この時は、現在のテンピンボウリングではなく、9本のピンをダイヤ型に並べた形。
16世紀には宗教改革で有名なマルティン・ルターもボウリングを楽しんだと言われています。
1603●室町時代
オランダで発祥・育成されたナインピンは、オランダ人のアメリカ大陸移住に伴い、ニューヨークのマンハッタンに上陸。
1626年〜1820年
アメリカでナインピンは、約200年の経過をへて全米に広がり、大流行をしましたが、次第にギャンブル目的として使用されることが目立ってきた。
1840●江戸時代
アメリカ・コネチカット州議会はギャンブルに防止をかけるべき、ボウリング禁止令の条例を出した。続いてニューヨーク州もそれにならい、やがて他の州も同じような条例を遂行。
1860●江戸時代
ジョセフ・サムという頭の良い人が、9本がだめなら10本にすれば法律にふれないだろうと改善したのが、現在あるテンピンズ(10本の配列も考案)の誕生となった。
1861●文久元年
6月22日、長崎の出島に日本で最初のボウリング場がオープン(日本人最初のボウラーは坂本龍馬ではとの話もある?)その日を記念して、日本の「ボウリングの日」は6月22日と設定される。(1972年)
1869●明治 2 年
神戸にもボウリング場が誕生。《 KOBE-CLUB 》
1895●明治28年
アメリカン・ボウリング・コングレス(ABC)がニューヨークで発足。ボウリングが巨大な大衆スポーツとして大発展を遂げる礎石となる。
そして、再びナインピンズ禁止の悲劇を繰り返さない為にも、競技者の組織化・競技ルール・用品用具の統一に乗り出した。パーフェクトゲームの12回連続ストライクで300点もこの時に制定。
1909●明治42年
ABCルールにてボールの周囲27インチ、重さ16ポンド以下と制定。これが現在のボールの規格に至る。
1946●昭和21年
今までは、ボウリングのピンを立てていたのはピンボーイと呼ばれる人の手作業でしたが、この年にAMFが世界初の自動ピンセッターマシンを発表。
1952●昭和27年
12月20日に東京都港区青山に我が国に民間初のボウリング場《東京ボウリングセンター(手動式20レーン)》がオープン。外国人・芸能人で賑わう。
1958●昭和33年
米国・プロボウリング協会(PBA)がエディ・エライアスの提唱で設立。
1961●昭和36年
10月に東京晴海見本市に本邦初上陸の『自動ピンセッター』が展示され、東京・大阪を中心に自動マシンのセンターが設置される。
1964●昭和39年
5月17日に『全日本ボウリング協会』が17連盟・約6,200名で発足。(JBC)
9月29日に『東京ボウリング場協会』発足、会長に日本電波塔株式会社社長前田久吉氏が就任、協会発足当時センター数33C、レーン数1,416L。
1965●昭和40年
4月6日に『日本ボウリング場協会』が発足。初代会長に東京の会長である前田久吉氏就任。引き続き『日本ボウリング評議会』が発足し、会長に川島正次郎氏が就任。
8月には『日本芸能人ボウリング連盟』が発足、初代理事長に小林桂樹氏が就任
1967●昭和42年
1月27日に『日本プロボウリング協会』発足、理事長に都築俊三郎氏が就任、推薦プロ19名発表。東京平和島スターボウルで創立記念大会・矢島純一プロが優勝。《この時代優勝賞金は30万円でした》
6月に『第1回三笠宮チャリティーボウリング大会』を東京・五反田ボウリングセンターで開催。三笠宮崇仁殿下が初代総裁になられた。
全国でレーン数が1万レーンを突破。(520センタへー)
1969●昭和44年
5月に『日本女子プロボウリング協会』が誕生、第1期生13名。東京・目黒ボウリングセンターで誕生記念大会を開催。中山律子プロが優勝
1970●昭和45年
中山律子プロがテレビ中継の決勝戦で日本女子プロ第1号パーフェクトゲームを達成(於:東日本月例)一躍人気者となり、ボウリングの大ブームが始まる。
1972●昭和47年
6月22日を『ボウリングの日』と定め、全国のセンターで無料開放を実施。
11月1日に『日本ボウラーズ連盟』が発足、理事長に山田嘉雄氏が就任。
11月に『日本ボウリング機械同業会』が発足、日本BW・伊藤忠AMF・兼松ボウルモアー・横浜高島屋(オーデン)の4社。
並木恵美子プロ年間賞金獲得額が全プロスポーツの最高金額1千万円を超える。
1973●昭和48年
4月11日に『全日本ボウリング協会』が法人基金1億円で財団法人を文部省から認可を受ける。会長に迫水久常氏就任。
5月12日に『日本ボウリング場協会』が社団法人の認可を通産省より受ける。
1974●昭和49年
2月に(社)日本ボウリング場協会会長に松竹株式会社会長・城戸四郎氏が就任。
4月1日に関東ボウリング場協会が1都10県加盟で設立された。
5月12日に全国実業団ボウリング連盟発足、理事長に寺尾重蔵氏就任。
10月にNHK総合テレビに『文久元年のボウリング』が登場、初めてお茶の間に歴史的事実が解明される。
1975●昭和50年
6月にボウリング讃歌『さわやかなほほえみを』の発表会、『由紀さおりショー』開催。
7月に(社)日本ボウリング場協会でオープンボウラー育成・定着の為ボウリング教本(JTB)を導入、リーグ開発セミナーを開く。
1976●昭和51年
5月の定時総会時に東京ボウリング場協会会長に日本電波塔株式会社の藤岡龍男氏就任。
6月の通常総会時に(社)日本ボウリング場協会会長に静岡県暖香園ボウル社長の北岡文人氏就任。
9月ボウリングを体育正課にする学校が増える。筑波大・富山大・九州大・青山学院など
11月の『第10回三笠宮チャリティーボウリング大会』が三笠宮ェ仁親王殿下を新総裁に迎え、東京・DOボウルにて開催。
11月にジャパン・レディース・ボウリングクラブが発足。代表に須田開代子氏就任。
1977●昭和52年
2月に『第1回ジャパンオープンボウリング選手権大会』を東京・ハタボウリングセンターで開催。全米マスターズ・全米クイーンズ派遣選考会を兼ね444名参加。
3月1日に『日本ボウリング振興協議会』発足。(社)日本ボウリング場協会(BPAJ)・日本ボウリング機械同業会(BEAJ)・(社)日本プロボウリング協会(JPBA)・日本ボウラーズ連盟(NBF)・全国実業団ボウリング連盟(ABBF)・ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)の6団体加盟。議長にJPBA会長の都築俊三郎氏就任。
8月関東場協会で「第1回オール関東ボウリングまつり」を新潟県・新潟交通シルバーボウルにて開催。
10月に「第12回BPAJ全国ボウリング競技大会」を東京・芝ボーリングセンターで開催。芝・増上寺にて「ボウリングピン供養」を行う。
1978●昭和53年
4月より関東場協会で『スターラブラブボウリング』をテレビ東京(東京12ch)にて放映。
10月に全国大学体育連合会による『ボウリング技術研究会』を開催し統一指導法を研究、正課体育導入活発に。
12月に開催された「第8回アジア競技大会(タイ・バンコク)」にボウリングが正式種目として参加。
(JBC)又、IOCがFIQを世界ボウリング競技組織として承認。
1979●昭和54年
1月に新春を飾るJLBC第1回クイーンズオープン『プリンスカップ』開催。優勝は山賀昭子(4期生)優勝賞金200万円は日本史上最高金額。
1980●昭和55年
オートスコアラーを導入し始め、場内外の改装、マスキングの入れ替えとリニューアルセンターが目立ち始めた。
4月にボウリングのPR誌『レッゴーボウリング』を発刊。
6月に『第1回オール産業人ボウリング大会』をスポーツニッポン新聞社後援の基、東京・ハタボウリングセンターで開催。
1981●昭和56年
4月に『日本ボウリング商工会』発足。理事長にABS社長の渡辺保氏就任。
4月開催の『東京ボウリング場協会選抜選手権』で選手団を香港へ派遣。香港協会との交流が始まる。
5月に『第1回アルギンゼット日刊スポーツ東西対抗オールアマチュアボウリング選手権東日本大会』を東京・芝ボウリングセンターで開催。
1982●昭和57年
5月より関東場協会にて1億円キャンペーン『ボウリング‘82』スタート。
9月に関東場協会主催で『第1回日米学生ボウリングトーナメント』を東京青山・東京ボウリングセンターで開催。
1983●昭和58年
3月に関東場協会主催で『第1回ボウリングレディー‘83』を東京・芝ボウリングセンターで開催。初代ボウリングレディは東京の遠藤彰代嬢に輝いた。
(社)日本場協会主催し東京場協会で実施した『母と子のボウリング教室』は、全センターで実施860名参加。
1984●昭和59年
3月に関東場協会主催で『第1回関東オープンボウリングトーナメント』を東京・品川プリンスホテルボウリングセンターで開催。優勝は原田招雄プロで優勝賞金500万円と日産自動車を獲得した。
5月開催の『日刊スポーツ東西対抗オールアマチュアボウリング選手権』を江崎グリコ株式会社の協賛によりセブンティーンアイス杯と名称を変えて開催。
6月の通常総会で(社)日本ボウリング場協会会長に東京ボウリング場協会会長の藤岡龍男氏が就任。
9月に東京ボウリング場協会創立20周年祝賀会を250名参加の基、東京タワー展望台にて開催
11月に『第1回新聞青少年ボウリング大会』を都内全センターで開催し、3,670名が参加。
1985●昭和60年
6月に『第1回ボウリンピック東京大会』をシチズンボウルで開催。6月には『第1回ボウリンピック全国大会』を東京・品川プリンスホテルボウリングセンターで開催。
アメリカPBAと日本JPBAの対決『第1回ジュパンカップ』が東京ポートボウルで開催。
1986●昭和61年
今年度より東京場協会では各団体の競技スケジュールポスターを制作。(現在日本場協会で作成)
5月の定時総会で東京ボウリング場協会会長に第一ホテルの岸本誠二氏就任
6月の通常総会で(社)日本ボウリング場協会会長に愛知県・星ヶ丘ボウル社長の水野民也氏就任。
11月開催の『第20回宮様チャリティーボウリング大会』は、20回を記念してェ仁親王殿下より日本・関東ボウリング場協会他3社に対して感謝状及び記念品が贈られた。
1987●昭和62年
1月に『第1回新春芸能人ボウリング大会』を開催。正月番組としてテレビ東京にて放映。
1988●昭和63年
5月の定時総会で東京ボウリング場協会会長に武蔵境スポーツガーデン社長の秋元光雄氏就任。
9月開催の『第43回国民体育大会』(京都)で、ボウリングが正式種目で参加。(JBC)
又、ソウルオリンピックにボウリングが「エキシビジョン・ゲーム」として登場。日本代表浅井敦子選手が銀メダルを獲得。
1989●平成 元 年
6月に「ボウリングの日」を記念して、キャンペンカー3台を駆使して『日本縦断1万キロキャンペーン』を実施。
11月にボウリングフェスタ‘89を東京ボウリング場協会主催し、BIGBOX西武スポーツプラザで開催。各大学ボウリング同好会が一堂に会した。
1990●平成 2 年
4月第1日曜日に毎年開催『グローバル東京‘90ボウリングトーナメント』をTBA・NBF・ABBF・JLBC・BPATで初めて共同主催の基、芝ボウリングセンターで開催。
6月に日本場協会は長崎市に『日本ボウリング発祥の地』として記念碑が建立された。
1991●平成 3 年
5月に関東場協会主催で『第一回関東コンベンション』を西熱海ホテルで開催。講師に参議院議員の小野清子氏を招く。関東1都10県より223名が参加。
11月開催の『第25回宮様チャリティーボウリング大会』が、シルバージュビリーの節目を迎えた大会として歴代優勝者を招待し、改めて記念式典を行うなど有意義な大会として開催。
1992●平成 4 年
2月に(社)日本ボウリング場協会会長に東京ボウリング場協会会長の秋本光雄氏が就任。
3月に関東場協会は『第1回芸能人・文化・スポーツチャリティーボウリング大会』を開催。エイズ予防財団に贈呈。
4月に東京場協会は『東京ボウリング場ガイド』を制作。各大学サークル・法人・マスコミに配布。
1993●平成 5 年
1月開催の『第1回ライフスポーツフェスタ沖縄大会』を開催。生涯スポーツとしてテニス・ゴルフ・水泳・ボウリングが種目となった。
11月に『‘93マスメディア大賞』を実施。大賞にはとんねるず出演の『生でダラダラいかせて』(日本テレビ)が受賞。
1994●平成 6 年
6月開催の通常総会で(社)日本ボウリング場協会会長に株式会社イースタンスポーツ代表取締役社長の中野啓二郎氏が就任。
9月に東京ボウリング場協会創立30周年記念事業として東京・青山の地にモニュメント建立。新橋第一ホテルで三笠宮ェ仁親王妃信子殿下御台臨の基に記念式典を開催。
1995●平成 7 年
2月にTVstationCUP『第1回レディースオープントーナメント』を主催株式会社ダイヤモンド社、主管関東ボウリング場協会、会場ハタボウリングセンターで開催。優勝は松井八知栄プロ。
4月開催の『グローバル東京ボウリングトーナメント』に東京都知事杯争奪の冠と後援に東京都・東京新聞・東京中日スポーツと名実共に整った大会となった。
6月(6月22日)ボウリングの日に日本ボウリング振興協議会は『ボウリング資料館』を日本橋浜町東味ビル3階にオープン。
8月開催の『ボウルフェスタ‘95in TOKYO』は関東場協会主催の各都県持ち回り大会で第1回大会を東京ポートボウルで開催。《東京湾大華火大会が大好評》
11月21日にJLBC代表の須田開代子プロ(享年57才)心不全の為、急逝された。
尚、12月19日に品川プリンスホテルボウリングセンターに於いてボウリング合同葬が行われた。
1996●平成 8 年
5月の定時総会にて東京ボウリング場協会会長に東京ポートボウル代表取締役社長池田朝彦氏が就任。
6月にインターネットに東京ボウリングマップを入力、東京66センターの概要・大会の予定結果報告・ボウリング資料館・お知らせ欄を掲載大好評。
1997●平成 9 年
4月開催の『BPAJ全国ボウリング競技東京大会兼センター対抗戦』に東京商工会議所連合会会長杯を賜り優勝センターへ贈呈した。
1998●平成10年
2月開催の『第15回関東オープンボウリングトーナメント』がコカ・コーラ5ボトラーズの特別協賛を賜り優勝賞金800万円とし、石原章夫プロ(11期生)が制覇した。
6月開催の『nepiaCUP』を『TVステーションCUP』に名称を変更し、会場を芝ボウリングセンターで開催。優勝は最年少タイで中谷優子プロ(28期生)に輝き優勝賞金300万円を獲得。
1999●平成11年
10月に臨時総会が開催され社団法人日本ボウリング場協会の定款が改正され、直接会員制が決議された。
2000●平成12年
3月に東京商工会議所主催『第1回会員交流ボウリング大会』が東京ドームボウリングセンターで開催。
5月の関東ボウリング場協会定時総会並びに6月開催の(社)日本ボウリング場協会通常総会に於いて東京ボウリング場協会会長の池田朝彦氏(東京ポートボウル・代表取締役社長)が夫々の会長に就任。
6月開催の『BOWLEX JAPAN in Tokyo』を東京・東京ドームホテルで、『BPAJ全国ボウリング競技大会』を東京ドームボウリングセンター・芝ボウリングセンターの2会場で実施、
又、浅草「浅草寺」にて『ピン&ボール供養』を盛大に行った。
9月に『関東ドリームボウル・マッチプレートーナメント』を芝ボウリングセンターで開催し、PBAのウォルター・レイ・ウィリアムズJrが500万円の優勝賞金を獲得、初代チャンピオンに輝いた。
2001●平成13年
1月3日にテレビ東京で『プロ野球12球団ボウリング大会』を放映し、好評を得た。
2月のNHK綜合テレビ『ためしてガッテン』でボウリングの上達法を放映。ボウリングの楽しさが全国的に広まった。
2002●平成14年
4月より日本テレビで『ゴールデンボウル』が全国ネット11週間に亘り本格的ボウリングドラマが金城武・黒木瞳の主演により放映され、高視聴率を獲得した。
8月開催の『ドリームボウル2002マッチプレートーナメント』は3年目を迎え、米国プロボウリング協会・(社)日本プロボウリング協会との共同主催となり、在京スポーツ6紙等の後援を賜り、主管運営を関東ボウリング場協会で行った。
2003●平成15年
4月よりテレビ東京にて『中山ボウリング店』が毎週金曜日9時30分より放映が始まる。
11月開催の『宮様チャリティーボウリング大会』に共同通信社より後援を賜った。
2004●平成16年
1月8日よりNHK教育テレビにて13週間に亘り『NHK趣味悠々・目指せ200点!スポーツボウリングの世界』を放映し大反響を得た。
4月6日の(社)日本プロボウリング協会総会に於いて中山律子プロ(女子1期生)が新会長に就任。
6月に東京ボウリング場協会創立40周年を記念して会員センターの海外研修ツアーを実施。又、各地区で色々な記念イベントを開催。
2005●平成17年
6月に関東場協会創立30周年を記念して、静岡県「三嶋大社」で業界発展祈願を「沼津東急ホテル」に於いて記念式典を開催。
9月開催の「DyDo JAPAN CUP」は関東場協会協賛の基、決勝戦(NHK衛星第1放送)を東京体育館特設レーンで開催し大盛況を得た。
2006●平成18年
4月よりBS日本テレビにて『Pリーグ』を若手女子プロ16名参加の基、トーナメント勝ち抜き戦により放映した。第1回大会は大山由里香プロが優勝。
10月1日付でボウリング業界全団体の団結を目指し『日本ボウリング評議会』(BCJ)が発足。会長に武部勤(衆議院議員)、副会長に赤木恭平(JBC会長)、中山律子(JPBA会長)、池田朝彦(BPAJ会長)が夫々就任した。
2007●平成19年
4月に日本場協会制作の「中山律子ポスター」を山手線の駅張り・車内張りを実施した。
6月の(社)日本ボウリング場協会通常総会に於いて、今後とも「公益法人」を目指していくことになり、事業の受け皿として「日本ボウリング場事業協同組合」の設立を推進していくことが確認された。
7月に『第12回新橋こいち祭』に、関東・東京場協会が協力団体として参加、ミニレーンを設置。
中山律子プロ協会会長・親善大使の時東ぁみさんを迎え盛大に開催した。テレビ・新聞で広報多数。
2008●平成20年
4月に国民がより健康で元気になる環境の整備、イベントの啓蒙、ボウリングの「五輪種目入り」「パラリンピック種目入り」「2016年オリンピックの日本誘致」を目指し、「ボウリング振興議員連盟」が設立された。最高顧問に森喜朗、小泉純一郎 両元内閣総理大臣、顧問に山崎拓、臼井日出男 両衆議院議員、会長に武部勤衆議院議員が就任された。
11月よりボウリング業界及びセンター情報を配信する「ケータイDEボウリング」を無料配信【一般ファンの趣味・関心度の向上を目的】とする。
2010●平成22年
5月25日に東京ボウリング場協会創立45周年として、30周年に青山(東京ボウリングセンター跡地)に設立した記念碑をリニューアルし、マスコミ各紙の立会の基、除幕式を行いスポーツ紙に写真入りで大きく掲載された。
6月4日〜6日に東京ボウリング場協会創立45周年記念の一環事業として『BOWLEX JAPAN in TOKYO』(社)日本ボウリング場協会「第56回通常総会」及び日本ボウリング場事業協同組合「第2回総代会」を品川プリンスホテルで開催。並びに「第45回BPAJ全国ボウリング競技大会」を東京場協会主管運営で品川プリンスホテルボウリングセンター・東京ポートボウル・田町ハイレーンの3会場で開催した。
併せて「ボウリングピン感謝祭」を明治神宮の本殿にて、ボウリング業界の「懇親会」を明治記念館にて業界関係者150名以上が参加し盛大に開催した。
8月4日・5日に小学生ボウラーの発掘・育成を目的に、日本ボウリング評議会」(BCJ)と(財)全日本ボウリング協会主催による『小学生特別指導会 兼 第1回小学生ボウリング競技大会』を愛知県・稲沢グランドボウルに於いて開催され、1〜6年生が307名参加して大成功裡に終了した。
2011●平成23年
『ボウリング日本伝来150周年』記念キャンペーンを各地で実施。
3月11日東日本大震災発生し、各地で被害、また、BPAJ全国ボウリング競技大会が1年延期となった。
3月19日(財)全日本ボウリング協会定時評議会に於いて、武部勤氏が会長に就任、赤木恭平氏が理事・名誉会長に就任。
5月17日東京ボウリング場協会第48回定時総会に於いて、笹塚ボウル・財津澄子代表取締役社長が会長に就任。
5月23日関東支部連合会平成22年度定時総会に於いて、山梨県/ダイトースターレーン・水上源太郎代表取締役社長が会長に就任。
6月4日(社)日本ボウリング場協会第57回通常総会に於いて、神奈川県/相模原パークレーンズ・中里則彦代表取締役社長が会長に就任。